正義も行き過ぎれば悪と同じ

「正義も行き過ぎれば悪と同じ」

最近「炎上」といって、犯罪や道義に反することが起きた時、犯人やそれを行なった人物に対して非難・批判が殺到して収拾が付かなくなるばかりか、当人とその家族の個人情報を特定して無差別に拡散したり、時には殺害予告にまで発展するという話を聞くことが大変多くなっています。冒頭の言葉は、そのように、特に噂や推測だけで過激な非難を浴びせた炎上事例について警鐘を鳴らす記事の中で出てきたことばです。
ただこのことばは、最初は正義感だったものがエスカレートして悪に転じてしまったと言った意味に捉えることができますが、その事例の内容を注意深くみると、むしろもともと心の奥底にあった妬みや誹りの思いが、事件をきっかけに一気に解放されて暴走してしまったと言った方が正確と言えるものでした。
聖書はこの炎上に見るような人の心の闇の部分について次のように語っています。

「内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(マルコの福音書7章21節〜23節)

聖書はこのように人の本性について正確に教える書物です。そして、この人間の性質である罪がもたらすものが死と死後のさばきであると教えています。
しかし、それと同時に、聖書はこの厳粛な死と死後のさばきから救われるための方法をも示しておられます。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3章16節)

このことばにあるように、私たち人間がイエス・キリストを救い主と信じるならば、私たちは救われることができるのです。

集会ではこの人間の姿と、そして人間にとって必要な救いについてお知らせしています。是非集会にお越し下さいますようご案内いたします。