死と死後の世界

暗いタイトルですが、これは聖書においてとても重要なテーマです。
詳細に書くとかなり長いものとなりますので、ここで聖書のみことばを紹介します。
まず「死」についてです。
「罪から来る報酬は死です。」(ローマ人への手紙6章23節)
死には罪が関係していることがこの言葉でわかります、罪とは何か、それも聖書に記されています。
「しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。」(マタイ5章22節)
つまり、こころの中で悪い思いを持って人を見る時、それは罪を犯すということなのです。
だれもこのことばに該当しないと断言できる人はいるでしょうか?おそらくいないでしょう、ですから人間は罪人であり、その罪の結果、死ななければなりません。

次に「死後」についてですが、前述でも触れましたが、聖書には「死後」があると記されています、そして罪ある人間は罪ある人間はさばきとして「ゲヘナ(地獄)」に行くと記されています。そして、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9章27節)とも記されています。
ならば、全ての人間は死んだ後、地獄へ行くのでしょうか?そうではありません、死後の世界にはもう一つの世界があります。
「イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカの福音書23章43節)
このパラダイスとは「天国」のことです。つまり、死後の世界には「天国」と「地獄」があり、それは永遠の世界なのです。

罪を持っていることがはっきりしている人間は「地獄」が確定しています、しかし、聖書には「天国」に行く道も備えられています。
このみことばは、イエス様が十字架にかかった時に、もう一人の十字架にかかった人に向けて言った言葉です。なぜ、イエス様はこのことばをいったかというと、この時一緒に十字架につけれらた人はイエス様が人を地獄から救うことのできる「救い主」信じたからです。
イエス様を信じると「天国」に行けることがここで証明されています。
ですから聖書は語ります。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒の働き16章31節)
是非聖書のこれらのことばを受け入れ、罪から開放されて天国に行く方となられますようおすすめします。
最後に、聖書に天国と地獄に行った人の姿を記したことばを書き記します、これは事実のことです。このことばを呼んで、ここで説明されたことが真実であることをご理解ください、そして、どうしたら天国に行けるか、その具体的な方法を当集会で行われる福音集会でお聞き下さいますようお勧めします

「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。
さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。
その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。
彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』
アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』
彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』
しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』
彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』
アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」(ルカの福音書16章19〜31節)